寒さが緩んできて暖かくなって来ました(^▽^)/
少しずつ春の足音が近づいている感じがします♪
ブルーベリーちゃんの蕾はパンパンで今にも花が咲きそうな感じです(=v=)
今日で芽キャベツは全て収穫しました。かなり小ぶりな芽キャベツですが味は甘くておいしかったです\(^▽^)/
ベランダ菜園はこれからですね♪
目次
【りくちゃん(ベンガル)健康管理】
21:25 うんち(2回目/正常)
※確実に確認できた時間
ポーと猫の写真館
食の安全(3)
持続可能な食システムに移行する代償は他にもある。たとえば、生鮮食品を一年中手に入れるにはショッピングセンターの電力等のエネルギー多消費型の巨大サプライチェーンが必要であり、結局それはエネルギーを消費しエネルギー価格の上昇を結果的に引き起こし、食品そのものの値段も高騰にも繋がる。二酸化炭素排出による地球温暖化も懸念されている中、人はそのような贅沢をいつまでも続けられるとは考えにくい。生鮮食品が一年中いつでも手に入ることに慣れた消費者が、いつでも手に入らなくなるような事態は受け入れ難いはずだ。それは食料品店も同じだろう。「国産の食品が入荷した時は販売を行っています」では困る。国産だけに頼れば、生鮮食品コーナー一年のうち何ヵ月にもわたって、ほとんどが空になるという事態が起こる。海外に目を向ければ、食にこだわるイタリアでも、スペインやモロッコから低価格で、通年生産の生鮮食品を輸入する食料品店が顧客獲得に成功している。
では、肉はどうか。嬉しいことに、持続可能な方法で食肉を生産することは可能だ。放牧を農業を統合する多角的経営を行えば、家畜による穀物の消費量が減るため、科学薬品を多用した穀物の需要も減り、糞による水の汚染や窒素の大量浸出といった外部コストを減らしながら、はるかに栄養価の高い肉を生産することが可能になる。しかし、持続可能な方法で肉を今後生産した場合、今と同じ生産量は維持できない。持続的食肉生産による肉の生産は現在の水獣には遠く及ばず、たとえばアメリカで合成窒素から自然の窒素に切り替えるには、最低でも現在穀物を栽培している農家の半分を窒素固定効果のある豆類に変える必要があるということだ。もちろん、穀物の生産量は激減するため、穀物の輸出をなくすか、一人当たりの食料供給料を25%削減しなくてはならなくなる。小麦や大豆の大半を輸入している日本では、当然穀物を使用した食品は大きく高騰する。人間の食を満たすために、地球の環境破壊を続けるか、人間が食べる量を減らすまたは消費する人間そのものの数を減らすか。穀物を食べれる人を限定するか食料からも選別と選択をされることになる。
食料供給量を25%減らした場合アメリカ人は生きていけるのだろうか。まず無理だろう。確かに、現在アメリカ人一人当たりの食品供給量は彼らに必要な栄養分の約44%を超えており、その余剰分の大半が収穫や加工の際、あるいはレストランや家庭で無駄になっている点を考えれば、現在生産している量よりも少ないカロリーで人は生存することは可能かもしれない。食料品の無駄をなくしたとしても、穀物の生産量を減らせば、食肉の消費量は現在の八分の一近くまで減らさなければならない。そしてその分、必要なタンパク質の大半を植物から摂取しなければならなくなる。これにより、穀物農家や食肉加工会社、小売店及び外食チェーンから猛烈な反対に遭うのは当然だが、仮に啓蒙活動等により「今のペースで肉を食べ続けることは、まるで自殺行為だ」と、言葉巧みに消費者を説得しようとしても、ベジタリアンでもない消費者が自主的に肉の消費をこれだけ減らすとはとても思えない。
こうした心理が食経済を構築する上で重要な要素となる。禁煙や暴飲や怠惰な生活が寿命を縮めると分かっていても、地球上の何十億もの人間がそれをやめられないのと同じように、食物にかかる真のコストを知りさえすれば、消費者は自ずとそのコストを減らすようになるというのは極端に飛躍した考えということになる。真剣に持続可能な食生活を実践しようとすれば、肉だけでなく、ワインやビールなどのアルコール類のほか、コーヒー、チョコレート、チーズ、アイスクリームなどの嗜好品を減らすか完全にやめる必要があり、多くの人にとって、そのような生活を実践するのは不可能かもしれない。持続的農業を推進するためには、消費者に対し十分な働きかけが必要になるのではないだろうか。地球を汚さない農業や人の食育など食料政策の現実はどうなっているのだろうか。
つづく・・・