大きくな〜れっ!!・日本の医療とTPP(27)

最近気温が上がってきたので野菜はぐんぐん生長し、お花は綺麗に咲いています♪

猫ちゃんと毎日観察するのが楽しみです( ´艸`)

ポー

目次

ポーと猫の写真館


【ビオラちゃん】鮮やかに咲いています♪


【ビオラちゃん】好きです❤パープル❤


【ビオラちゃん】可愛いです♪


【ラディッシュちゃん】ぐんぐん生長中♪


【大葉ちゃん】やっと発芽しました♪


【リーフレタスちゃん】こちらも発芽しました♪


【じゃがいもちゃん】少し大きくなりましたよ♪


【スナップエンドウちゃん】早く収穫したいです♪


【ローズマリーちゃん】まだまだ元気に咲いていますよ♪


【甘草ちゃん】薬草も栽培中♪


【くうちゃん】たくさん収穫できるといいね((ΦωΦ))


日本の医療とTPP(27)

「緑の革命」の歴史を知ることは、私たちの健康だけでなく、これからの世界をどう形づくっていくのかを考える上でも非常に重要です。また、緑の革命とは結局ロックフェラーの「近代医療革命」の農業版にすぎないのです。「緑の革命(Green Revolution)」は第二次世界大戦のころに遡ります。大戦末期の1943年からすでにロックフェラー財団は、「食糧を制するものは世界を制する」という考えにもとづき、食糧戦略の一環として効率の高い農法の研究に着手していました。またその推進役はノーベル平和賞を受賞することになるロックフェラー財団の農業学者ノーマン・ボーローグ博士ら4人のアメリカの学者らでした。

緑の革命は、まずメキシコで小麦から始まりました。メキシコ政府とアメリカのロックフェラー財団が設立した国際農業研究機関を母体とす研究機関(1996年に国際トウモロコシ・小麦改良センターに改組)によって、小麦の新品種が誕生しました。用いられた品種は、日本の品種で矮性(わいせい)の「小麦農林10号」とメキシコの在来品種で、このふたつを交配することで、草丈が低く、肥料によく反応する小麦の高収量品種(メキシコ矮性品種)の開発に成功したのです。

また小麦に並んで、トウモロコシの新品種の開発も進められました。これらの品種は、メキシコ北部太平洋岸の灌漑地方を中心に急速に普及しました。その結果、アメリカから大量の穀物を輸入する食糧不足であったメキシコが、大幅な食糧増産に成功し、短期間に小麦の生産量は3倍、トウモロコシは2倍に跳ね上がり、1950年代後半には小麦の自給を達成しました。

その後、緑の革命は、1960年のフィリピンにおける国際稲研究所(IRRI)の設立、さらには有名なコメの新品種IR8の誕生(1966年)へと続いていきます。「緑の革命」は、このように世界の飢餓を救う画期的な技術として世界中から注目を集めました。

1968年、アメリカ合衆国国際開発庁(USAID)の年次報告書で、「フィリピン、インド、パキスタンなどの厳しい状況を見ると、食糧増産には希望が持てないと思われていた。しかし突然、この農法で事態が変わった。まるで緑の革命がおこったようなものである」と述べました。ここで初めて「緑の革命」という言葉が誕生したのです。

絶賛を浴びた「緑の革命」でしたが、早くも1970年代に入ると苦渋の時期を迎えることとなります。1971年には増産効果にかげりが見え始め、72年にはインド、中国を始めとするアジア諸国、さらには全世界が、不作に見舞われてしまいました。フィリピンでは害虫が発生し、コメの自給をしたばかりの同国は再び輸入国へ転落しました。新品種の干ばつに対する抵抗力の弱さも指摘されるようになりました。

なぜか。ロックフェラーが導入した新品種は、高収量を期待されたハイブリット品種でした。このハイブリット品種の特徴は、化学肥料と農薬の効果を最大限に生かすよう改良されたという点で、水も大量に必要とする脆弱な品種だったのです。また、稲と小麦の単一栽培によって、人々の食と栄養を支えてきた多様な作物と品種が失われていきました。大量の化学肥料・農薬を必要とする交配品種は、新しい病気と害虫を招来し、土壌を汚染しました。在来種の3倍もの水を必要とするために、灌漑による灌水と塩害が農地を不毛の荒地に変えてしまったのです。インドの環境運動家のヴァンダナ・シヴァ女史は『緑の革命とその暴力』(日本経済評論社)で、ロックフェラーの緑の革命がインドにもたらした大きな後遺症を私たちに知らせてくれます。インドのパンジャブに残されたものは、疲弊した土壌、病害虫に蝕まれた作物、湛水した砂漠、借金を負い絶望した農民である。平和のかわりに、パンジャブは争いと暴力を引き継いだ、この6年間に少なくとも1万5000人が命を失った。緑の革命は、貧しい農家の生き残る全てを支えた作物の多様性を破壊していったのです。
つづく・・・